日本のはるか南の洋上に浮かぶパラオ共和国。その国の南にペリリュー島という小さな島がある。この島と日本との強烈な関わり合いは・・・・・・戦争。太平洋戦争においてアメリカはこの小さな島にある滑走路を奪取するために、日本はそれを阻止しようと、激しい攻防戦がこの島でくりひろげられた。アメリカはまず、空爆、艦砲で島の森の木々を消し去り島を丸裸の状態にし、水陸両用装甲車、上陸用舟艇、武器弾薬、兵士といった日本兵を殺すためのあらゆるものが島に上陸できるように、海岸部(リーフ内)や障害となる高地の断崖を艦砲射撃して、地形を変貌させながら進入してきた。当初アメリカ側が「3日で陥落させられる」と宣言して始めた戦いは、日本軍の徹底した抵抗によって2か月半も続いた。
日本軍
戦死者 10,695名
捕虜 202名
アメリカ軍
戦死者 1,794名
戦傷者 8,010名
この他に精神に異常をきたした者が数千名いた。
この数字から分かるようにほとんどの日本兵は玉砕して護国の鬼となった。玉砕とは、玉のように美しくくだけ散ること、全力で戦い、名誉・忠節を守って潔く死ぬことをいう。アメリカ軍の圧倒的な軍事力の前に命と引き換えに攻め込む「肉弾斬り込み」戦術で、毎夜特攻を繰り返してアメリカ兵を恐怖に落とし入れ続けたという。アメリカ兵の中に精神異常者が数千人もでたことが、そのすさまじさを物語っている。日本兵もアメリカ兵もそれぞれの祖国の平和のために、それぞれの正義という名のもとに殺し合いをした悲しい戦い。
パラオ諸島攻撃軍の主将ニミッツは『太平洋海戦史』の中で数多い戦場の要点を回想しているが、彼は難攻不落の激戦場と断定しているのは、ペリリュー島の攻防戦だけだ。この戦闘が米軍にとって、いかに悲惨であったか・・・。そして、日本軍守備隊の必死の抗戦がどれほどすさまじかったか・・・。太平洋方面最高指揮官としての立場と、責任において、ニミッツは次のような戦闘経過を記録している。
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち勝つには、米国の歴史における他のどんな上陸戦にも見られない最高の損害比率(約40%の損害=米海兵師団の第1連隊を全滅させた)を出した。すでに征空征海権をとっていた米軍が、死傷者あわせて1万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、今もって疑問である」と。
日本軍はペリリュー島での戦争が避けられない現実となることを予想したとき、島の人々を安全な島へ集団疎開させた。だから、ペリリューの民の戦死者はいなかったそうだ。第二次世界大戦の混乱期、アジアの人々に対する日本軍の数々の卑劣な行動とは心を異にする、勇敢で熱い日本男児がこの島を命がけで守備していたのだろう。皮肉にもそのために、歴史に残るほどの激戦となってしまったのだが・・・。
戦争に関しては『ペリリュー島玉砕戦』という本で詳しく記されてるので、興味のある方は是非。
この本を読み終えたとき、僕の心に深くひっかかることがあった。それは、人以外の島に残されてしまった生きものたちの声なき悲鳴の嵐だ。パラオ共和国はたくさんの島で成り立っているが、ペリリュー島にだけいないカタツムリがいるらしい。他にもたくさんの生きものが消えていったことだろう。
1944年のペリリュー島玉砕戦からおよそ70年の年月が経っている。
ことごとく破壊されてしまったペリリュー島の自然は今・・・
そして、裏方で旅を支えてくれた安藤さん、ありがとうございました!
デイドリーム・ペリリュー
海のガイドから宿&舟の手配、そして戦跡案内まで、僕のわがままをとことん快く受け入れてくれ、本当に感謝です。お陰で自分の思い描く旅以上の出会いと感動に恵まれました。そして、このお店にやってくるダイバーもまたみんな自由な匂いのするいい人たちでした。ペリリュー島で出会ったみなさんに心からお礼申し上げます。ありがとうございましたっ! URL:http://www.daydream-dive.com/peleliu/index.html
みんなをいつも笑いの渦に誘ってくれたチエちゃん僕らの視力ではとらえられない魚の群れを探し出してくれたクリスいつも快くペリリューの海のことを教えてくれたダイチ君